Tadashi Hataraki and
Echoes of Kyushu-ha
働正がのこしたもの
海にねむる龍
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 本展では、不知火の地にゆかりのある作家、働正(1934年、現・熊本県宇城市不知火町 ‒1996年、福岡県大牟田市)を紹介します。10代で故郷を離れ、その後 小倉を経て晩年まで大牟田で活動した働は、戦後、福岡で起こった前衛美術集団 <九州派>後期のメンバーとして知られています。既存の美術表現や制度に反発し、 路上でのハプニングやインスタレーションなど、その場限りの表現を実践しました。 また、<九州派>を内部から批評するかのようなテキストを多く執筆したことから、 <九州派>を理論的に支える存在でもありました。
 働は、同じく<九州派>のメンバーだった谷口利夫から1965年に引き継いだ大牟田 の画塾・西部美術学園を拠点に、およそ30年間にわたって子どもたちに芸術を 教えました。独学で美術を学んだ働は、たんに技術を教えるだけでなく、自らの 想像力によってイメージを生み出すことを伝えました。大牟田の大蛇山まつりと、 自身の故郷に伝わる不知火伝説に着想を得て、2 年がかりで子どもたちと共に制作 した版画創作絵本『海にねむる龍』(1985 年、石風社より出版)は、その結実と いえるでしょう。当時の西部美術学園は、九州内外から美術家、音楽家、アングラ 劇団、批評家など、広汎な文化人が集まる交流拠点でもありました。
 1980 年代から晩年にかけては絵画に取り組み、近代美術が重視したような、 個の作家や作品のみに認められる「オリジナリティ」から解放された表現を試みま した。児童美術教育や絵画への回帰という、一見<九州派>の理念や活動とは 相容れないように見える活動を通じて、集団と個人のはざまで、美術の「中心」から 遠く離れた「地方」における生活において、いかに芸術を成立させるのかという問題 を問い続けたのです。
 働正の「作品」として現存するものは、多くはありません。しかし、残されたものから、 その生涯を通して貫いた表現活動に思いを馳せることができます。本展では、晩年 の絵画作品やスケッチブックとともに、美術館では初めてとなる絵本『海にねむる龍』 の版画や版木、西部美術学園で発行していた手書きの機関紙『えのぐばこ』など の資料を展示します。本展は、従来の美術史においてあまり語られてこなかった 「作品」の周縁に存在するものに目を向け、<九州派>や<前衛>という言葉の 向こうにある、作家の足跡をたどるものです。